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大阪摂津市イキイキ町工場のブログ

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躍進する町工場
カネタ50年の歴史
2025年3月27日

カネタ50年の歴史⑦

カネタでは、創立50周年を機に、カネタの歴史を「創立50周年記念誌」にまとめました。多くの方に読んでいただきたく、「創立50周年記念誌」の内容をご紹介します。今回は、改革期(2001-2005年)のお話③です。
改革期 タイトル写真

1.カネタの成長のきっかけとなる出来事

この当時カネタでは、ステンレス製の架台(展示会場で展示する製品や機械などを置く台)をつくっていた。

ある発注主がカネタのこの架台を他社へ研磨に出したところ、ひずみができてしまい、使いものにならなくなってしまった。展示会までの時間がない中、「もう一台架台をつくってほしい」とカネタに依頼してきた。

当時、佐多はつみの夫である藤崎藤夫は、カネタの現場で働いていた。藤崎藤夫はひずんだ架台を持ってくるよう発注主に言うと、数か所ヤイト(溶接の一種)を施し、あっと言う間にひずみを直してしまった。

お金をもらうほどでもないが、と付けた値段は5000円。カネタにとっては当たり前の技術なのだが、1 台あたり20万円ほどする架台をつくり直すことを想定していた発注主は驚き、すぐにカネタのファンになった。

以降、その発注主は全ての仕事をカネタに依頼するようになったのである。この出来事は、カネタの存在価値を改めて認識させるもので、その強みを佐多は実感したのだった。

●町工場の技術力に魅了される

佐多は、会社に入り2年、3年と経つうちに、日本の企業の99パーセントを占める中小企業の底力というものを見た気がしたと言う。

カネタのホームページには、「いま風(ふう)町工場」というキャッチフレーズがつけられている。現代の技術やITを導入しつつも、町工場の底力や人間関係を大事にしたいという佐多の思いが込められている。

佐多自身が、自社の技術者を信頼し、自信をもって営業をし、顧客に対して誠意をもって対応できているのも、カネタを誇らしく思っている証である。
工場内スローガン写真

2.田袋猛社長死去

2004(平成16)年、田袋猛社長が倒れて死去する。改革を始めて2年が過ぎようとしていた頃のことである。田袋猛は仕事が大好きで、透析を続けながらも製図を担当していた。

会社が苦しいときも、従業員には経営が大変だとは言わなかった。「みんながんばっているなぁ」と、にこにこ笑顔を見せていた。佐多に経営改革・予算管理の全権を委ねており、改革の成果が出て、売上げも少しずつ伸びてきて、これからという矢先の逝去だった。

葬儀は社葬にて執り行われ、新社長には田袋猛社長の妻、田袋美津子が就任したが、実際の経営は引き続き佐多に任された。

●田袋猛社長―仕事が大好きで、多くの仲間から慕われる存在だった

田袋猛社長は、経営が厳しくなってから、透析を受けながら、なおも一人で営業に回っていた。図面も自身で描いていた。仕事が大好きな人だった。

おだやかな人だった。事務所を禁煙にしたのに、一番にタバコを吸ったのは、田袋猛社長。事務所を移転して2 階の階段から最初に落ちたのも田袋猛社長。どこか、ちゃめっけがある人だった。

尼崎にいた20歳の頃、田袋猛は、心臓弁膜症の手術をすることになった。そのとき、学生時代の友人15人ほどが猛のために輸血に協力してくれた。多くの仲間から慕われる存在だった。

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