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大阪摂津市イキイキ町工場のブログ

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躍進する町工場
カネタ50年の歴史
2025年3月18日

カネタ50年の歴史⑥

カネタの歴史 vol.6-業務の組織化、工程管理の徹底、経理改革により、町工場カネタから、企業としてのカネタへの一歩を踏み出す。

カネタでは、創立50周年を機に、カネタの歴史を「創立50周年記念誌」にまとめました。多くの方に読んでいただきたく、「創立50周年記念誌」の内容をご紹介します。今回は、改革期(2001-2005年)のお話②です。
改革期 タイトル写真

1.有限会社タブクロを業務統合

2002(平成14)年11月、カネタの子会社であった有限会社タブクロの業務を統合。

同月、営業担当として桂彰良が入社する。桂はネジの商社に勤務しており、カネタとは互いに売買をする関係だったが、その商社が倒産した。それまでカネタには営業担当がいなかったため、営業力増強のために社長である田袋猛が声をかけた。

製造部、レーザー部、シャーリング・プレス部を設立。有限会社タブクロや有限会社ケイエルティ(以前独立したカネタのレーザー部門)がやっていた仕事を集約して、社内に組織をつくった。これがカネタの今の組織につながっていくのである。

2.社内改革への取り組みー納期厳守によって売上倍増

マネージャーとして入社した佐多はつみの改革が始まる。まず初めに行ったのは、毎日の全体朝礼。
そこで会社全体の業務の状況を共有し、当番制で自分の仕事に対する思いや、やるべきことを発表させた。

同時に、きちんとした工程表を作成した。すべての作業と従業員の行動内容をチェックして、納期を厳守させたのだ。今では当然のことだが、当時は納期という発想がなかった。既存の顧客はこの改革を歓迎し、月額売上が倍以上に増えた。

材料や消耗品などの物品の購入に関しては、1社ではなく複数の会社に打診し見積書の提出を依頼する相見積を取ることを徹底させ、個人個人での発注権をなくした。

それ以前は工員それぞれが個人事業主のようで、会社が全体を把握することなく、見積も取らず相手の言い値で仕入れていた。納品書もなく、在庫管理ができていないために、材料がそのままスクラップされていることもあった。

佐多はこのロスにメスを入れた。仕入れたものはできるだけ早く現場で製造に回すという、製造業では当たり前のシステムを取り入れたのだった。

業務の組織化、工程管理の徹底、原価計算など、企業として当然のことが行われるようになり、町工場カネタから、企業としてのカネタへの一歩を踏み出した。

佐多は従業員に、「生き残るために、組織を変える。だから、ついてこられない人は辞めてください。引きとめる力は今のカネタには残っていない」とありのままを話した。異例の事態であることは従業員も全員わかっていた。結果、退職者は一人も出なかった。

この時に改革に着手していなければ、今のカネタはなかっただろう。また残った従業員たちは人間的にも技術的にも優れたメンバーだったと佐多は振り返る。

カネタ工場内写真

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