カネタ50年の歴史④
カネタの歴史 vol.4-バブル崩壊の痛手を乗り越えて。レーザー2号機の導入とレーザー部門の独立。
カネタでは、創立50周年を機に、カネタの歴史を「創立50周年記念誌」にまとめました。多くの方に読んでいただきたく、「創立50周年記念誌」の内容をご紹介します。今回は、混迷期(1991-2000年)のお話です。
1.バブル崩壊-技術をもたない会社はどんどん潰れた
バブル期は、仕事がたくさんあったので、簡単に独立できた時代だった。技術力が追い付かず、質のよくない製品も出回っていたが、それでも仕事が成り立っていた。
しかし、1991(平成3)年3月、バブルがはじけると品質が重視されはじめ、技術をもたない会社はどんどん潰れた。コツコツやってきた技術力のあるところだけが残る結果となった。
バブルがはじけた後、周辺の工場からは、明らかに作業音が聞こえることが少なくなった。カネタもかなり厳しい状況が続いた。この時期の従業員は14~15名だった。
2.レーザー機2号機―起死回生のための1億円の設備投資
1992(平成4)年、ヤマザキマザック製のレーザー機2号機を導入し、起死回生を図った。1号機と同じ、1億円の投資だった。
3.ケイエルティ創立―レーザー部門の独立
1998(平成10)年10月、レーザー部門を独立させて、有限会社ケイエルティを設立する。社長には田袋猛が就任した。
●バブル経済―「プラザ合意」を経ての「失われた20年」
バブルとは何だったのか。バブル経済とは、1986年から1990年頃にかけて日本で起きた、株価や地価といった資産価格の急激な上昇と、それに伴う好景気のことをいう。
その発端は、1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで開催された「G5」である。「G5」とは、日米英独仏という先進5か国の財務相・中央銀行総裁会議を指す。
この「G5」で、ドル高是正(円高ドル安)を目指すことで各国が一致したのであった。この「プラザ合意」後、超スピードで円高が進行し、日本は円高不況に直面する。そこで、日銀は徹底した低金利政策をとった。
その結果、カネ余りが起きて、余った資金が株式市場になだれ込み、資産価格の上昇が始まった。その結果、日経平均株価は1989 年12月29日、3万8千915円の史上最高値をつけた。
さらに、余った資金は不動産市場にも入り込み、地価高騰が起きた。「地価は上がり続ける」という土地神話が生まれ、人々はこぞって不動産を買った。そのため、地上げや土地ころがしが起こって社会問題となる。
企業は海外の企業を買収するなど財テクに励み、社員は接待交際費を使って豪遊するなど、社会全体がお金を使うことに熱狂していた。
1989 年5 月に日銀は低金利政策をやめ、政府も1990 年3月から不動産向け融資を規制した。急激な上昇の反動もあって、株価・地下ともに下落した。経済は長い低迷期に入り、のちに「失われた20年」とよばれるようになった。