
カネタ50年の歴史⑤
カネタの歴史 vol.5-経理改革と新体制への移行
カネタでは、創立50周年を機に、カネタの歴史を「創立50周年記念誌」にまとめました。多くの方に読んでいただきたく、「創立50周年記念誌」の内容をご紹介します。今回は、改革期(2001-2005年)のお話①です。
1.経理改革-見積もりミスによる損失
2001(平成13)年、見積りミスによってカネタは大きな損失を出した。
この頃、社長である田袋猛は週3回の透析を受けながら経営を行っていたが、この事件で経営は一気に苦しくなった。そこで、経理経験者である、いとこの佐多はつみに「経営が厳しいので経理面を見てほしい」と依頼した。
佐多はつみの夫は、カネタの技術者である藤崎藤夫である。
それまでは田袋猛社長夫人が経理を担当していたが、佐多は週1回程度、アルバイトで経理業務を手伝うことになる。
当時、多くの中小企業がそうだったように、カネタも原価計算をおろそかにした生産体制をとっていた。現場の技術者は職人ゆえに、時間がかかっても、とにかく良いものをつくろうとしていたのだ。
佐多は、「1万円の仕事を5時間でやるのではなく、4時間でやって利益を出す」という製造業の基本を説いたが、反発ばかりで改革は遅々として進まなかった。あげく、心を鬼にして「予定以上の給料は出せない」と言わねばならなかった。
しかし、カネタの技術は素晴らしく、腕のあるいい職人ばかりだったと佐多は振り返る。当時の従業員数は12~13名だった。
●佐多はつみプロフィール
1951(昭和26)年生まれ。いとこの田袋猛、勇とは幼い頃から兄弟のように過ごしてきた。17歳で大阪に出て、関西経理専門学校に入学する。
卒業後、大阪・淀屋橋の山田原田合同会計事務所に就職。その8 ヶ月後に5 つの会計事務所が合併して監査法人あさひ会計社となる(現あずさ監査法人)。関与先は日本高度経済成長を支えてきた大手企業ばかり。ここで経理の知識と会計士の先生たちの生き方を学んだ。
カネタの技術者である藤崎藤夫との結婚後退職し、10年のブランクを経て会計事務所に再就職。田袋猛の思いを受けてカネタで経理を担うようになった。
2.新体制へ-ケイエルティの統合とレーザー機の入れ替え
2002(平成14)年 7 月、正式に佐多はつみがマネージャーとして入社した。
社長の田袋猛は、従業員全員の前で「佐多にすべてを任せる」と宣言した。
カネタは当時、有限会社ケイエルティの工場を借りてレーザー部門を置いていた。レーザー技術はどんどん進歩し、かつて使われていた酸素から窒素を使って切るタイプに変わってきていた。
ケイエルティで使っていた酸素使用のレーザーでは、顧客がどんどん離れていくのは明らかだった。
ケイエルティを統合し、その家賃をレーザーの新機種購入に充て、仕事と人材をカネタ本社に移動させて再建に乗り出したのである。
またこの年、レーザー機1号機を入れ替え、3号機導入を決めた。3号機はAMADA製だった。